大判例

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大分地方裁判所 昭和38年(ヨ)17号 判決

申請人 寺島孝三

被申請人 興国人絹パルプ株式会社

主文

申請人が被申請人との間に雇傭契約上の地位を有することを仮に定める。

申請費用は被申請人の負担とする。

(注、無保証)

事実

第一、当事者双方の求める裁判

一、申請人

主文同旨の裁判

二、被申請人

本件申請を却下する。

申請費用は申請人の負担とする。

旨の裁判

第二、申請の理由

一、被申請人会社(以下単に会社と称する)は、東京都に本社を、佐伯市、富山市、八代市及び吉原市に各事業所を有し、パルプ・紙・化繊等の製造並びに販売を主たる業務とする株式会社であり、申請人は、右会社の佐伯工場に勤務する従業員であつて、昭和三七年六月当時、会社に勤務する従業員を以て組織する単一の労働組合である興国人絹パルプ労働組合(以下組合と称する)の佐伯支部(以下組合支部と称する)支部長の地位にあつた者である。

二、組合は、佐伯工場における昭和三七年五月度(四月二一日以降五月二〇日まで)の操業日数をいかに定めるかについて会社との協議が調わないため、中央執行委員会の決議により、佐伯支部組合員をして、同年五月五日六日の両日にわたり、一斉不就労の行動をとらしめた。

三、しかるに、会社は、右一斉不就労を理由として、同年六月一二日付をもつて、組合支部長たる申請人を解雇する旨の通知をなしてきた。

四、右解雇の意思表示は、後記第四において詳述するとおり、申請人の正当な組合活動を理由とするものであつて、無効である。

五、申請人は、解雇無効確認の訴を提起すべく準備中であるが、会社からの給料のみをもつて生計を営んでいる労働者であり、他に何らの収入もないため、本案判決の確定を待つにおいては、回復し難い損害を生ずる恐れがあるので、申請の趣旨と同旨の裁判を求める。

第三、被申請人の答弁並びに主張

一、第一項は認める。

二、組合及び組合支部の指導による一斉不就労の事実は認める。しかし右は以下に述べるとおり、違法かつ不当な行動である。

三、申請人に対する解雇通知の事実は認める。

四、右解雇をなすに至つた理由の詳細は、次のとおりである。

(一)  解雇に至るまでの事情

(1) 佐伯工場における操業の形態

(イ) 同工場は、スフ綿、紙等の原料であるパルプを製造する工場であるが、その性格上、機械の運転を全く停止する(以下休転という)と相当の損失を伴うため、会社は従来市場の需給状況と休転による損失を勘案して、一箇月の操業日数を決定実施して来た。即ち、その月の日曜日の数だけ休転することが妥当な場合には、原則として隔週の日曜日の前後二日(ないし三日)を休転日としてこれをはさんで一三日間連続操業をし(これを二六操業という)、月一日だけの休転が妥当な場合には、その休転日を月始めに指定して他は連続操業し(二九操業という、以下これに準じて二八、三〇操業等がある)、残余の休日日数(日曜日の回数から休転日数を差引いたもの)については、業務に支障のないよう各従業員毎に休日を指定して与える方法によつて、各種の操業方法を実施して来たものである。

(ロ) 右各操業形態の選択及び実施は、本来会社の経営権の一内容として、会社の専権に属する事項であつて、組合との協議を必要とすべき事柄ではない。尤も、佐伯工場において、昭和二九年以降、操業度を決定するについて、組合支部との間に協定を経て来た事実はあるが、右は、操業度を引上げるに際し、従業員に法の要求する休日日数を完全に消化させるだけの人員(交替要員)を設けていなかつたため、連続操業実施のためには休日出勤または残業をさせる必要があつたからであり、この関係でその都度組合支部と交渉して、労働基準法第三六条による協定(以下三六協定と略称する)を締結し、操業手当を加給の上実施して来たものである。

(ハ) 操業形態の選択実施が会社の専権に属することは、組合との間の労働協約においても承認されているところである。即ち、昭和三〇年九月締結の労働協約第五五条において、各工場製造部門に勤務する従業員の休日について、「週休日を定休により難い職場については、毎週または四週間を通じて四日の割合で毎月始めに休日を指定する」との条項(指定休日制という)がとり入れられた。このことは、会社が右休日指定をなすことによつて操業日数を決定し得ることを示している。更に、昭和三一年一一月一三日締結の労働協約第五五条(昭和三四年以後は第五四条として踏襲された)に関する付属協定書において、佐伯工場及び富山工場につき、「週休日及び特定休日のうち地方祭と文化の日は操業する」旨、並びに、休日出勤の日数に応じ一定の基準による操業手当を支給する旨の協定が設けられた。これらによつて、会社が自由に二九操業或いは三〇操業等の高度の連続操業を実施し得ることが明確に承認されたものである。

(ニ) その後、右協約条項並びに付属協定はそのまま逐年引きつがれ、会社は各種の連続操業を組合に通知するのみで一方的に実施して来た。組合も亦終始協力的態度を示し、操業度の変更に対し抗議したこともなく、右協約条項改廃の要求をしたこともない。

(2) 会社の合理化計画と事前協議協定

(イ) 昭和三二年下期以降会社は赤字累増に悩み、昭和三五年六月経営陣交替の上、会社再建に当ることとなり、既存設備について徹底的に合理化を行うこと及び新規事業を開発することの二大方針を決定したが、昭和三六年、これを更に具体化して、パルプについては佐伯工場において集中的にその生産を行うこととし、市況により操業短縮の必要を生じたときは富山工場においてその調整を図ること、新たに富山工場においてハードボードの、八代工場においてセロフアンの、佐伯工場においてイースト核酸の各製造を開始することを定めた。佐伯工場関係についての右計画を更に詳説すれば、当時の同工場の一日当りパルプ生産量一三〇トンを一四〇トンに引上げること及び当時実施していた二六操業を同年一一月度以降二九操業に変更してこれを恒久的に実施すること、基準人員(職場配員ともいう)を減員して得た余剰人員をもつて、指定休日及び年次有給休暇に必要な交替要員として、これを充足すること等を骨子とするものであつた。しかして、昭和三六年二月以降組合及び組合支部に対して右計画の大要を発表して協力を要請した。

(ロ) これに対し、組合は、右合理化計画が労働条件に影響を及ぼすことを危惧し、事前に組合の同意を得た上で実施することを要求して対立したが、結局組合も譲歩を示し、昭和三六年七月一七日に至つて、「合理化諸計画(新規開発事業を含む)については、労働条件の低下を来さない内容をもつて、予め労使間において誠意をもつて協議する。」旨の協定が成立した。(以下、これを事前協議協定と称する。)

(ハ) しかし、右協定に基き協議すべき対象は、合理化計画により労働条件の低下を来すか否か即ち労働条件の変化の有無であつて、右計画そのものではない。また、佐伯工場における二九操業の問題も、前述((1))のとおり会社は自由にこれをなし得るのであるから、右協定にいう協議の対象に含まれないことは当然である。

(ニ) 更に、右にいう「協議」は、協議決定つまり同意を意味するものでないことは、右交渉の経緯に照らしても、また労働協約ないし各種協定の用語例に徴しても明らかであり、組合も当然このことを了解していたものである。尤も、会社が右協定成立後合理化諸計画を実施するに当り、事実上二、三の具体的問題について組合の同意を得て実行した例はあるが、これは、会社再建を図るためには合理化の一途を措いて他に手段はなく、そのためには組合の協力が必要であるとの認識に基いて譲歩を重ねた結果にすぎない。

(3) 二九操業協定成立の経緯及びその内容

(イ) 会社の前記合理化の提案に対し、組合は諸種の条件を要求して譲らず、ために交渉は難航し、佐伯工場における二九操業の問題も、昭和三六年一一月度(当初の計画では同月度から実施する予定であつた)及び一二月度においては、その実現をみるに至らなかつた。しかし、右は、当時三六協定が締結されておらず(組合は昭和三五年三月以降これを拒否していた)、二九操業実施に必要な休日要員が充足されていなかつたため、その強行を避けたものであつて、二九操業そのものについて組合の同意を要すると考えた結果ではない。

(ロ) その後交渉を重ねた結果、日産量引上の問題について先ず協定が成立し、次いで、二九操業問題についても、昭和三七年一月二一日に至つて、組合との間に、(a)毎月一〇日に翌月度の休転日を決定することとし、右決定については予め工場と組合支部で協議すること、(b)指定休日は操業に支障のない限り本人の意思を尊重して月始めに指定すること、(c)交替要員の算出方法、(d)不足人員は社員をもつて補充し、補充完了後実施に移ること、(e)期間は昭和三七年四月二〇日までとすること等の諸点について合意に達し、ここに、「佐伯工場月一回休転操業に関する協定」(以下二九操業協定と称する)の成立をみた。

(ハ) 右協定に定める期間について、申請人は、二九操業自体の実施期限と解する如くであるが、右見解は当らない。右期間は、二九操業を四月二〇日まで実施に移した上、二六操業当時に比較して労働条件の低下があつたか否かを双方が検討し(協定成立時には、労働条件の低下を生ずることはないとの一応の合意に達したが、更に期間内に再度検討することとなる)、万一低下をもたらすような現象が見出された場合は、再び労働条件について協議する余地を残す意味において設けられたものである。

(ニ) 従つて、右期間経過後においても、会社は依然二九操業を継続実施し得るものである。また、仮に、申請人の解釈のとおり実施期間であるとしても、会社は既に述べたとおり、労働協約第五四条及び付属協定書(二九操業協定によつてこれらが変更されたものでないことは勿論である)に基き自由に二九操業を実施し得る筋合である。仮に百歩を譲つて、期限後の二九操業の継続につき組合の同意を要するものとした場合でも、本来固有の権利として操業権を有する会社ですら一方的に実施し得ないこととなるのであるから、かかる権利を有しない組合が、会社との協議を経ることもなく、一方的に二六操業の実現を図ることができないことはいう迄もない。

(二)  違法行為の具体的内容

(1) 会社は、昭和三七年三月二〇日、組合支部に対し、四月二一日以後も佐伯工場において二九操業を継続実施したい旨提案し、更に、これを前提として、五月二日を休転日とすることの協議申入をしたが、組合支部は、二九操業は四月二〇日で期間満了し、それ以後は当然に従前の二六操業に復帰したものであると主張し、二六操業を前提にした休転日を設定せよと迫り、協議に応じなかつた。

そこで、会社はやむなく四月一三日組合支部に対し、五月度の休転日を五月二日とする旨通告した。更に、指定休日について、従業員各自の希望調査をしたところ、組合支部は、不当にも、右調査に応じないよう指令してこれを妨げたので、会社は各人に対し業務命令をもつて休日を指定した。

(2) これに対し、組合支部は前記の誤つた見解から、二六操業を前提とした休転日を自ら恣に設定して支部組合員をして休務せしめる一方、会社の決定した休転日を無視して、出勤日と称して一斉に構内に立入らせ、また、各人の指定休日には当該従業員をして休日返上と称して同様入構させる等の違法行為を敢てし、もつて会社の業務を著しく妨害した。

いま、その具体的内容を更に詳述すれば、次のとおりである。

(イ) 四月二一日以降五月一五日に至るまでの間、申請人をはじめ組合支部幹部は連日にわたり、当日休日に指定された従業員をかり出して工場に入構させて各職場に赴かしめ、自ら率先して各職場の長に対し就労せしめることを強要し、職場上長の就労拒否と職場外へ退去せよとの業務命令を無視し、各職場内休憩室等にたむろさせ、以て会社の業務を妨害した。

(ロ) 五月二日は、会社の決定した休転日であるところ、申請人ら幹部は恣に出勤日と称して多数従業員をかり集め、集団的に各職場内に侵入し、職場上長に対し労務の受領を強要し、退去の命令を無視して各職場を徘徊し、会社に対し運転開始を要求する等して、会社の業務を妨害した。

(ハ) 同月五日及び六日は会社の通常の操業日であるにも拘らず、申請人ら幹部は、休転日であると称して、組合員に対し、右両日を休務すべき旨指令した。会社は、このことを知つて予め従業員に対し、当日は会社が休日指定した者以外は、通常通り出勤すべき旨の業務命令を発し、口頭、掲示、電報等を併用してこれを徹底せしめる一方、組合支部に対しては文書をもつて、『この業務命令を拒否するような指令を発し、これを実行せしめた場合は、損害賠償の請求並びに組合幹部の責任を追及する用意がある』趣旨を警告し、更に、右指令を撤回して右両日の操業に協力するならば、春季闘争(当時その渦中にあつた)要求について会社の修正回答を提示する用意がある旨を明らかにして円満解決のための努力を尽くしたのであるが、申請人ら幹部はこれらを無視して、その態度を変えることがなかつた。

かくて、申請人らは、前記指令を実効あらしめるため、五月五日午前七時三〇分頃から組合員等を動員して正門その他通勤途上の道路上にピケを張り、業務命令に従つて出勤しようとする従業員を実力をもつて阻止し、五月五日及び六日の両日にわたり、遂に佐伯工場の操業を不能ならしめ、会社の業務を著しく妨害した。

(3) 右一連の違法行為のほか、次のとおりの違法行為がある。

(イ) 昭和三七年三月二〇日から六月一二日に至る間、組合支部は、組合員らを使用して、ほしいままに、会社施設にビラ、ポスター等を貼り出したので、会社がその撤去を求めたところ、申請人は右業務命令に公然反抗して、会社の業務を妨害した。

(ロ) 同年五月五日、組合支部は、会社の許可なく、ほしいままに会社施設に赤旗約二〇本を掲揚したので、その撤去方を申入れたが、これに応じないのみか、申請人は、「これらの行為については一切会社の許可を受ける必要はない。会社が撤去できるならしてみろ。」などと反撥し、会社の業務上の指示命令に従わず、以て会社業務を妨害した。

(ハ) 同年四月六日、春闘第二波ストライキに際し、組合支部は会社との協定に違反して、安全保持要員を引き揚げ、以て会社の業務を妨害した。

(ニ) 昭和三六年以降会社は佐伯工場構内において、イースト、核酸工場の建築に着手し、件外鹿島建設株式会社が右工事に当つていたところ、昭和三七年五月一〇日、佐伯工場で行われたストライキに際し、右鹿島建設従業員が資材搬入のため、トラツクで正門から入構しようとした際、組合支部はトラツク前にピケを張り実力を以てその入構を阻止し、会社がピケを解いて入構させるよう命じたにも拘らず、正当な理由なくこれを拒否し、会社並びに右鹿島建設の業務を妨害した。

(三)  正当な争議行為であるとの主張に対する反論

(1) ストライキに関する意思集約の主張について

春闘要求のうちに、佐伯工場の二九操業を二六操業に戻すことの要求が含まれていた旨及び春闘要求のうち、「協約改訂要求」に含めて、二九操業問題についてもストライキの意思集約がなされたとの申請人の主張は、いずれも否認する。右は、本来春闘要求とは全く切りはなれた問題であつた。尤も、甲第二四号証(春闘要求案)中には、佐伯工場の二九操業協定期間後の方針として、二六操業に復帰することを要求し、「これがための闘いは連操協定要求のスト権に含めて闘う」旨の説明が見受けられる(「協約改訂要求のスト権」とあるのは、後に変造されたものにすぎない)けれども、右は、協定期間後において改めて右要求を掲げて組合員の意思集約を試みた上、ストライキを以て要求貫徹を図るとの方針ないし予定を説明したものにすぎないものである。

(2) 争議性の否認

申請人は、一方において、二九操業協定期間後は当然に二六操業に復帰すると主張(右主張が誤りであることは既に述べた)しながら、他方、前記諸行動は、二六操業実施を要求してなした争議行為であると主張するが、前者の見解に立つて組合は二六操業を行いこれに見合つた休日を消化し得る権利があるというものとすれば、それは本来交渉によつて解決すべき問題ではないのであるから、後者にいう争議行為の観念と相容れず、したがつて両主張は相矛盾するものと言わなければならない。(被申請人は、このような矛盾する主張を予備的になすこと自体許されないものと解する。)少くとも真実は申請人が右前者の謬見に立つて、二六操業を前提とした休日を自ら設定の上休日消化と称して前記行動に出たものであることが明らかであり、従つて、右はもともと争議行為としてなされたものではない。そうするとかかる権利行使としてなされたことが突如として争議行為に転化しうるものではない。

(3) 争議の違法性

仮に、右一連の行動が争議行為に当るとしても、右は、正当な争議行為たる要件を欠くものである。即ち、

(イ) 佐伯工場二九操業問題について投票によるストライキの意思集約をみなかつたことは前述のとおりであり、右行動は、一般組合員の十分の理解も得ないまま、申請人らの一片の指令に基いて強行されたものであるから、本来争議行為が正当であるための前提をなすべき、組合員の総意の結集(換言すれば、団体的統一意思の形成)において、すでに欠けるところがあると言わなければならない。

(ロ) 前記行動のうち五月五日六日の一斉不就労に先立ち、組合支部は会社に対し、単に一斉休務する旨を通知し来つたのみで、その目的並びに争議行為であることについての明示的な通知をなしていない。このことは労働協約及び従来の慣行に違反するのみならず、殊更に目的を秘匿し、労使間の信義に反するものであつて、この点においても違法かつ不当である。

(ハ) なおまた、仮に争議行為の要件を充たすとしても、その実質は、組合員の権利内容に関する争いについて、国家機関に救済を求める手続を経ることなく、一方的に会社の意思を排除してその自力による直接実現即ち自力救済を図り、直接に自己目的を達成したものであつて、このような争議行為が違法であることはいうまでもない。

(四)  申請人の責任

申請人は、組合佐伯支部長として前記(二)において述べた違法不当な行動を企画指導し遂行したばかりでなく、自ら直接その実行に関与したものである。申請人の右各行為は、会社佐伯工場就業規則第一一四条第四号並びに第九八条第四号に該当し、本来懲戒解雇に処しても当然というべきところ、会社は諸般の事情を考慮した結果、同就業規則第九八条第六号を適用して即時解雇したものであつて、右解雇は正当である。

五、仮処分の必要性に関して主張するところは否認する。申請人は、解雇後約一〇箇月を経過して漸く本件申請に及んだものであつて、その間漫然と徒過して来た上、現在紙パ労連九州地方本部書記長に就任し、専従役員として毎月相当額の給与を得ているので、本件申請はその必要性を欠くものである。

第四、解雇理由に対する申請人の反論

一、被申請人の主張に対する認否並びに反駁

(一)  解雇に至るまでの事情

(1) 佐伯工場における操業の形態

(イ) 操業形態に関する説明の部分は認めるが、会社が休日指定をなすことにより、一方的に操業形態を選択実施し来つた旨の主張は否認する。その詳細は、次に述べるとおりである。

(ロ) 操業形態の決定並びに実施が会社の専権に属するとの主張は争う。いかなる操業形態をとるか、就中連続操業の強化は、組合員の労働強化につながり、その他諸種の労働条件に影響を及ぼす問題であるため、当然組合と協議しその同意を得た上で実行すべき事柄である。このことは、会社も自認するとおり、佐伯工場において連続操業を開始した昭和二九年以降一貫して、操業度の決定にあたり常に支部組合の同意を得て来た事実からみても明らかである。

(ハ) 労働協約に指定休日に関する条項があることは認めるが、右は一定の操業形態をとる場合における休日のとり方についての協定であつて、操業形態それ自体の決定について、会社の自由に委ねたものではない。また、協約付属協定書は、特定休日のうち二日を操業する旨(会社主張の如く、週休日の全部と特定休日のうち二日という趣旨ではない)、及び休日消化の日数に応じて手当を出す旨を定めたものにすぎず、これによつて、高度の連続操業が可能になつたとの主張も当らない。右は従業員の勤務時間、休日消化の面に直ちに影響を及ぼす事柄であるから、交替要員の完全な充足がなされるか、或いは三六協定が締結されるのでなければ、実施し得ないものである。

(ニ) その後会社提案を受け入れて連続操業に協力して来たことは認めるが、これも会社の一方的な実施を受け入れたものではなく、当時における会社と組合の所謂力関係から、連続操業の拒否が事実上困難であつた故に外ならない。

(2) 会社の合理化計画と事前協議協定

(イ) 主張のような合理化計画の提案がなされたことは認める。

(ロ) 事前協議協定成立の事実は認める。会社は合理化計画の内容を組合に説明するだけで直ちに実施に移すことを欲していたのであるが、組合はこれを事前に協議の対象とすることによつて、組合員の生活と権利を擁護する方針から、交渉を重ねた結果、会社を譲歩せしめ、組合の同意を条件とすることを承認せしめたものである。従つて、仮に経営権に基き自由に二九操業を実施し得るとの会社の見解が正しいとしても、右協定によつて右権限は束縛されることとなつた。

(ハ) 会社は、労働条件の変化の有無だけが協議対象となるかの如く強調するが、これは当らない。右協定は、佐伯工場における二九操業実施を含む合理化諸計画そのものについて事前に協議すべき義務を課するとともに、その実施によつて、労働条件の低下を来すようなことがあつてはならないことを加重的に義務づけたものに外ならない。

(ニ) 右協定にいう「協議」が同意を意味するものであることは、会社としても十分理解し承認していた。会社はその後合理化計画の一環として、昭和三六年八月頃、富山工場内におけるハードボード工場建設、佐伯工場内におけるイースト、核酸工場建設等を実施するにあたり、組合の同意を得てはじめてこれに着手したが、これらはいずれも右の趣旨に副うものである。

(3) 二九操業協定成立の経緯及びその内容

(イ) 昭和三六年一一月度及び一二月度において、佐伯工場の二九操業が実現をみなかつたことは争わない。このことは、会社が操業問題に関する自己の見解の誤りを自認したことを示している。即ち、会社は、一一月度からの実施を固執し、休日指定をなすことにより一方的に実施し得るとの考えから、同月度につき一日だけの休転日指定をして来たが、組合は、事前協議協定の蹂躪に強く抗議し、組合としては従来通り二六操業の実施を要求する、そのため一一月一一日ないし一三日、一九日及び二〇日の五日間を休日と指定して組合員を休務させる旨を通告したところ、会社は遂にその実施を断念した。また、同年一二月度においても、右同様の経緯により、二九操業の実現をみなかつたものである。

仮に、会社主張のとおりであるとすれば、会社は、人員を補充した上、これを実施すれば足りた筈である。なお、会社は三六協定を申入れたが組合がこれを拒否したために断念した旨説明するけれども、その申入れをなした事実はない。組合は昭和三五年三月以降一貫して三六協定拒否の態度を持続しており、会社もこれを動かし難いことは十分承知したので、その締結の申入れをしなかつたのである。

(ロ) 昭和三七年一月二一日、主張のような(但し、解釈にわたる部分は除く)二九操業協定が成立したことは認める。

(ハ) 右協定に定める期間は、二九操業の実施期間であり、このことは、双方とも十分に認識していた。当時二九操業に伴う基準人員交替要員その他の基本問題について既に概ね合意に達していたにも拘らず、期間をいつ迄にするかの問題について長期にわたり交渉が難航した事実に徴しても右は明らかである。

(ニ) 従つて、右期間の経過によつて、改めて延長の協定が成立すればとも角、然らざる限り、当然に二九操業実施の根拠は失われ、協定成立前の操業形態たる二六操業に復帰するに至つたのである。このことは事柄の性質上当然であるばかりでなく、上記の諸事情に鑑み、労使双方にその旨の暗黙の合意が潜在し、右合意の効果としても是認さるべきである。

(二)  組合の行動の具体的内容

(1) 会社が昭和三七年五月度においても二九操業を実施したい旨申入れて来たこと、組合支部がこれに対し反対の態度を表明したこと及び会社が右反対にもかかわらず、五月度の休転日を五月二日と指定し、かつ、従業員各自に対する指定休日を指定して来た事実は認める。

(2) 組合及び組合支部が支部組合員に指令して、(イ)四月二一日以降五月一五日までの間、休日指定を受けた者に対し、それぞれ出勤せしめたこと、(ロ)五月二日に一斉出勤せしめたこと及び(ハ)五月五日六日の両日を一斉に休務せしめたこと、なお右(ハ)に先立ち、会社が主張の方法によつて組合員の出勤を促し、かつ、組合支部に対して警告を発したこと、五月五日朝ピケツトのため人員を配置したこと及び、以上の行動につき、申請人が組合佐伯支部長として関与したこと(関与の程度に関する部分を除く)は認めるが、その余の主張事実は否認する。

右(イ)については、組合支部は組合員に指示して出勤させた上各職場内の休憩室に待機させ、或いは機械の手入整備、職場の清掃等の仕事に自主的に参加させたが、会社は退去を命ずることもなく労務の提供を受けたばかりでなく、却つて積極的に仕事を与えて業務に従事させた場合もある。右(ロ)についても同様、出勤した組合員は整備清掃等に従事したが、会社はこれらの労務をそのまま受領し、平穏裡に就労を終つた。また右(ハ)に先立ち、会社は事態解決のため誠意を尽くしたかの如く主張するが、そのような事実はない。なお五月五日のピケは、口頭による説得を目的として必要最少限の人員に止めたのであるが、就労者は一名もなく、ピケラインにおいて何らの紛争も発生しなかつた。

(3) 会社がその他の違法行為として主張する事実のうち、(イ)(ロ)のビラ貼り及び赤旗掲揚の事実は認めるが、これらは本来、建物の効用ないし美観を著しく損うものでない限り適法というべく、これに至らない本件程度の行為に対して撤去を命じ、或いは責任を追及する如きは施設管理権の濫用と言わなければならない。(ハ)については、会社が労働協約のスキヤツブ禁止条項に違反して操業行為を行つたため、やむなく、安全維持に関係のない貯木係業務要員、日向出張所業務要員の引揚げを行つたものであつて何ら違法ではない。また、(ニ)については、鹿島建設従業員が入構せず引揚げた事実はあるが、ピケ隊員の平和的説得によつて納得の上引揚げたものであつて、これまた違法視されるいわれはない。

二、正常な休務であることの主張

前述のとおり、二九操業協定の期間満了によつて、再協定の成立をみない以上、当然に従前の二六操業に復帰したものであるから、会社は五月度においては、これを前提とした休日設定をなすべきところ、組合支部のその旨の要求を無視し、一方的に二九操業に伴う休転日、指定休日を指定して来た。そこで、組合及び組合支部は止むを得ず五月度の休日を自ら設定し、組合員をして休務せしめたのである。従つて五月五日及び六日の休務は、従業員が本来有する権利(休日を休日として消化する権利)の行使であり、この意味において正当である。なお、右不就労行動は、同時に争議行為たる側面をも有するが、この点について以下に詳説する。

三、正当な争議行為であることの主張

(一)  春闘要求との関係

組合執行部は、昭和三七年度春闘に先立ち、昭和三六年末頃から職場討議を基礎として要求を集約し、春闘要求案を作成の上、これを第二次討議資料として昭和三七年二月四日組合員全員に配付して職場討議にかけ、一四、一五日に行われた中央委員会(組合大会に次ぐ意思決定機関)に討議しその承認を得た。

右春闘要求案は、賃金のベースアツプ、最低賃金制の確立、労働協約の改訂(操業協定その他各種協定の改定を含む。)その他の諸要求を包含するものであるが、組合としては、佐伯工場における二九操業協定期限後は二六操業に復帰したい旨の強い要求を当時既に持つていたので、右要求案において、協定期限後は二六操業に戻すこと及びそのための闘争は協約改訂要求に含めて闘う旨を特に明記し、他の諸要求事項と併せてこのことも承認されたものである。

しかして、組合は同年三月二日、右諸要求を会社に提出して、団体交渉に入つた。

(二)  ストライキについての意思の集約

組合は、これに続いて同月中旬頃、組合規約第九九条に基き、右春闘諸要求について、項目別に、全組合員によるストライキの可否を問う直接無記名投票を行つた。その結果、右労働協約改訂要求については、八六、〇五%の組合員の支持を得て、ここにストライキ実施についての意思の集約をみた。即ち、佐伯工場における二六操業復帰の要求についても前記のとおり、労働協約改訂要求の一内容として、ストライキの意思集約が成立したのである。

(三)  争議行為の実施

三月二〇日の団体交渉において、会社は、二九操業協定期限後もこれを実施したいとの態度を明らかにし、更に会社主張の如き一方的見解から、組合がこれを承認して協力しない限り、春闘諸要求については一切の回答を拒否するとの露骨な態度を示すに至り、このため、佐伯工場二九操業問題を解決することが、事実上、一切の春闘諸要求を解決するための前提条件であるかの如き観を呈するに至つた。これに対し組合は、一貫して二六操業復帰の要求を掲げ、これを前提とする休転日設定の協議を申入れたが、会社はこれを無視して、その主張のような休転日並びに休日指定を一方的になし来つた。ここに至つて、組合はやむを得ず、二六操業復帰の要求並びに他の春闘諸要求貫徹のため実力闘争に入ることを決意し、その方法として、五月五日六日、一八日ないし二〇日の五日にわたる一斉不就労闘争(ストライキ)を決定して四月一四日組合支部から佐伯工場長に対しその旨の通告をなし、また、会社指定の休転日及び指定休日に対してはその返上闘争(就労闘争)を以て対抗することとし、ここに前記一(二)のとおりの争議行為に突入したものである。

(四)  争議の正当性

このように、右不就労闘争は、二九操業の問題をめぐる対立紛争を解決するため、組合が組合員の総意による支持を得た上、組合の正規の機関決定に従つて実施したストライキに外ならず、休日返上闘争もこれと不可分の目的に出た行動であり、且つ、これらの実行行為も終始整然と統一的に行われて、何らの逸脱的行動もなかつたのであるから、結局目的並びに手段の両面において極めて正当なものであつた。よつて、右一連の行動を理由とする(他の諸行動が正当であることは既に述べた)本件解雇は効力を有しない。

四、正当な争議にあたらない場合と申請人の責任

仮に、本件争議行為が違法の評価を受けることがあるとしても、申請人が会社に対する責任を負うべき理由はない。会社の主張する「違法行為」の主体はすべて組合または組合支部であつて、申請人自身ではないにも拘わらず、会社は、組合支部代表者たる申請人に所謂幹部責任ありとして、本件解雇の挙に出たものである。

しかしながら、違法争議が行われた場合、組合幹部が組合に対して責任を負うことあるは格別、そのことは当然に使用者に対する責任に直結するものではなく、むしろ、経営に関する諸規範は、従業員に対しては、従業員たる地位をとらえてその行為を規制するものであるから、組合の幹部たると幹部以外の組合員たるとによつて、その責任に軽重を生ずる余地はない。本件争議における申請人の地位役割を見ても、単一組織たる組合の中央闘争委員会において討議決定(申請人の関与する余地はない)の上、指令として発せられた内容に終始忠実に従い、他の支部闘争委員等とともにこれを行動として具体化したにすぎず、更に、実行面における組合支部固有の問題についても、他に組合専従の役員等が活動している関係上、申請人には特筆する具体的役割は存しなかつた。その故にこそ、会社はその違法と主張する具体的行為現象と申請人との結びつきについて、何らの主張立証を試みていないのである。よつて、本件解雇は、この点においても不当と言わなければならない。

五、不当労働行為

会社の合理化計画の提案に対し、組合が抵抗を示し、事前協議協定によつて重大な制約を課することに成功したことは前述のとおりであるが、会社はなおもこれを意のままに実行に移すため、実力によつて右協定を打破ることを企て、そのためには組合を弱体化するほかはないとして、あらゆる手段を講じて組合に対する組織介入を試みて来た。しかして、本件闘争の渦中において、次第に多数の会社側組合員を獲得することに成功し、なお進んで組合の完全な御用組合化を図つて、会社側組合員に指令して再三にわたり臨時組合大会の開催を要求せしめ、これが実現できないとみるや、強力な介入を加えて、遂に昭和三七年六月一一日、組合の分裂、新組合の結成に至らしめ、その翌日申請人を解雇し、更に引続き第一組合(従前の組合佐伯支部)の切崩しに狂奔して来たのである。以上一連の行動に照らし、本件解雇が不当労働行為に当ることは明白であり、その故に無効である。

第五、疏明関係〈省略〉

理由

一、争いのない基本事実

申請人が昭和三七年六月一二日当時会社の従業員であり、興国人絹パルプ労働組合佐伯支部の支部長の地位にあつたこと、会社が右同日付をもつて、申請人を解雇する旨の意思表示をしたこと、右解雇の理由が申請人を含む組合及び組合支部の会社主張の如き行動、即ち、同年四月二一日以降五月一五日までの会社指定休日の就労行動、五月二日の会社設定にかかる休転日の就労行動、五月五日及び六日の不就労行動並びにその他ビラ貼り等の諸行動(但し、これらに対する評価にわたる部分を除く)を理由としてなされたものであること、及び申請人が組合支部長たる地位に基きこれらの行動に関与したこと(但し関与の程度は除く)は、いずれも当事者間に争いがない。

二、本件解雇に至るまでの事情

双方が、本件解雇に至るまでの事情として述べるところは畢竟、右各行動の目的ないしその正当性の有無、特に昭和三七年四月二一日以降、佐伯工場における操業方式が引続き二九操業によることとなるか、或いは同年一月以前の二六操業に復帰すべきものであるか、更に組合が二六操業を主張ないし要求することが正当であるかの問題に直接に関連すると考えられるので先ず右の限度においてこの点につき判断する。(なお、以下すべて疏明による認定である。)

(一)  操業形態と指定休日制

(1)  会社の佐伯工場はパルプ製造工場であるため、機械設備の運転の関係上、会社は所謂連続操業方式を必要とすること、右連続操業の具体的形態ないし方式(二六操業、二九操業等)の決定実施については、昭和二九年以降、その都度会社と組合支部間で協定を経て来た事実上の慣行があること、昭和三〇年九月締結の労働協約第五五条(後に五四条となる)において、休日に関する定めとして、休日を週休日及び特定休日(年末年始等)の二種とし、前者について、「週休日を定休により難い職場については、毎週一日又は四週間を通じて四日の割合で毎月始めに指定する」旨の所謂指定休日制が採用され、更に昭和三一年一一月一三日締結の労働協約第五五条附属協定書において、佐伯工場及び富山工場については、「週休日及び特定休日のうち地方祭と文化の日は操業する」旨を定めるとともに、所謂操業手当算出の具体的方法につき統一的な条項が設けられたこと、その後においては、操業形態の決定実施は、会社が協定を経ることなくしてこれを行い、組合もこれに対して異議を唱えた例はないこと、以上の事実は、当事者間に争いがない。

(2)  そこで先ず、上記の如き操業形態の選択ないし決定が会社の専権に属するとの主張について検討するに、証人長嶺正次の証言(第一回)、これによつて真正に成立したものと認める疏乙第四号証の一、二、及び弁論の全趣旨を総合すれば、会社佐伯工場においては、そのパルプ製造業務の特質から、一日の休転は事実上一日分以上、場合によつては二日分程度の減産を招来するため、会社としては、最も効率的な生産活動を維持するためには絶えず休転による減産量と市場の需給関係を総合対比しつつ当該月における操業日数を決定する必要あることが認められ、右のような企業運営の基礎をなしその経営方針に直接に係わる事項については、その決定は、これを所謂経営権の作用と称するか否かはさて措き、少くとも第一次的には会社経営者の判断と責任に委ねられていると観念するのが相当である。尤も、他面において、操業度の問題が労働者の有する基本的権利に直接間接の影響を及ぼすものである以上、これが法或いは協約に抵触することのないよう慎重な配慮のもとに決定さるべきであることは当然といわなければならない。

(3)  この点につき、前記長嶺の証言及び証人本間信男の証言(第一回)によれば、佐伯工場において連続操業を実施する場合は、製造部門の人員に不足を生じ、これを別途補充する場合はともかく、そうでない限り、従業員各自が、労働基準法に定める労働時間を超え或いは休日出勤する等して就業することが必要であり、従つて、組合との間に、同法第三六条に定める時間外勤務協定(以下三六協定と称する)締結の要があつたこと、しかし同工場においては後記合理化諸計画の実施に至るまでは人員(交替要員)補充の方途は講ぜられていなかつたことが認められるので、高度の連続操業の実施は先ず人員補充の面で事実上制約を受けていたとみることができる。

次に、労働協約との関係についてみるに、前記協約第五五条(成立に争いのない疏乙第一号証の五のイ)は、一定の連続操業下における休日の定め方(所謂指定休日制)を協定したものであつて、それ自体連続操業を定めたものではないとしても、前記附属協定書(成立に争いがない同号証の五のロ)は休日の大部分を操業に充てること(週休日の全部及び特定休日のうち二日を操業する旨定めたものであることは文理上も明らかである)、及び連続操業実施に伴う手当(所謂操業手当)の算出方法を一本化したことを主たる内容とするものであつて、それ自体高度の連続操業の実施を予定しこれを前提として協定されたものと解せられ、成立に争いのない疏乙第八一号証の記載内容、その他右附属協定書成立後において会社が任意連続操業を決定実施し来つた事実に徴すれば、組合としても附属協定書の意義を右のように理解していたことを窺うに十分である。

(4)  そうしてみれば、会社は労働基準法に反しない限度において操業形態を自由に決定する固有の権限を有し、他方前記協約及び附属協定書成立後は、佐伯工場における二九操業を実施するにつき、協約上の制約も存せず、交替要員を補充して労働時間の問題を解消する限り、右権限を行使することが可能であつたということができる。以上の認定に反する疏明はない。

(二)  合理化計画と事前協議協定

(1)  昭和三六年二月、会社が再建のための合理化諸計画を発表したこと、右計画が既存部門の合理化並びに新規事業の開発を骨子とするものであり、就中、佐伯工場においては、パルプ日産量一三〇トンから一四〇トンへの引上げ及び同年一一月度以降における二九操業の実施(従来は二六操業)を内容とする集中生産体制の確立にあつたこと、これに対し組合は、合理化計画の労働条件に対する影響を危惧し、予め組合の同意を得た上で実施すべき旨を求めて交渉したが、結局同年七月一七日に至り、会社主張の如き内容(解釈にわたる部分を除く)を有する事前協議協定の成立をみたこと、以上の事実は当事者間に争いがない。

(2)  右協定にいう合理化諸計画が佐伯工場における二九操業実施を内容として包含するものであることは、右の争いのない成立経緯に徴し明らかである。そこで、右協定が組合の同意を要件とする趣旨であるか否かについて検討するに、右協定の文言(成立に争いのない疏甲第二号証、疏乙第八号証)及び成立の経緯、就中、証人大宮二郎(第一回)、同角田安男(第一回)の各証言、成立に争いのない疏乙第九四号証の四によれば、組合としては当初その同意を要件とすることを要求し、協定書の作成自体に難色を示す会社との間に種々接渉を重ね、双方歩み寄りの結果、「予め誠意をもつて協議する。」との表現をとることに合意の成立をみたこと、組合はこのことを組合側の譲歩と理解していたことが窺い得られること等に徴すれば、右協定は文字通り合理化諸計画の実施に先立ち会社が組合と協議を経ることを義務づけた趣旨にとどまり、協議が調わない場合において計画又はその実施を放棄すべきことまでを定めたものではないと認めるのが相当である。

尤も、右協定成立の後、合理化計画の一環として行われた、富山工場におけるハードボード工場建設、佐伯工場におけるイースト・核酸工場建設その他について、組合の同意を得た上で実行に移した事実あることは当事者間に争いがないけれども、弁論の全趣旨によれば、右は、会社が合理化計画が経営悪化を克服し再建を図るための方策として、その実施に当り組合との間に可能な限り無用な摩擦を回避しようとする態度の現われであつて、これを義務づけられた結果であると見ることは相当でない。従つて、前記認定に抵触するものとは解されず、その他これに反する疏明はない。

(三)  二九操業協定

(1)  右合理化計画のうち佐伯工場に関する部門については、其後会社組合間で協議を経た後、先ず生産量引上げの問題について協定の成立をみたこと、及び昭和三七年一月二一日に至つて、会社主張のような内容(解釈についての主張を除く)を有する佐伯工場月一回休転操業に関する協定(所謂二九操業協定、疏甲第四号証の一ないし三、疏乙第一〇号証の一ないし四)が成立したことは当事者間に争いがない。

右協定書第一〇項には、「本協定は昭和三七年四月二〇日までとする」旨掲記されているところ、会社は、右は二九操業実施に伴う労働条件低下の有無を調査するための期間であつて、右期間経過後においても二九操業を継続実施することは当然の前提として承認されていたものである旨主張し、これに反し、申請人は右は二九操業の実施期限を画したものであると主張するので、以下この点について検討する。

(2)  先ず、右協定成立の経緯についてみるに、成立に争いのない疏乙第四四号証の一ないし五、同第四八号証、証人角田安男(第一回)、同田村志朗(第一ないし第四回)の各証言及びこれらによつて真正に成立したものであると認められる疏甲第三一号証、同第三五号証、同第三六号証、同第三八号証、同第五六号証及び同第六一号証を総合すれば、以下の事実を認めることができる。

即ち、佐伯工場二九操業問題及び日産量引上げ問題については、昭和三六年一〇月頃、会社組合間において概ね了解点に達し、一旦は佐伯工場での現地交渉において了解事項を文書化する試みまでなされた(疏乙第四八号証)のであり、その際は、期間の問題は特に取り上げられていなかつたのであるが、其後組合は本部において検討の結果、二九操業の定義、協定の期限その他の問題についてなお交渉の余地があるとして、会社に対し協議の継続を申入れるとともに、対内的にも協定の実施期限を明らかにする必要があるとの教宣活動を行い、右期限を昭和三七年三月二〇日までとする旨の要求態度を明らかにし、一方、会社としても、これを労働協約の有効期間と一致せしめる希望を有していたところから、「本協定の有効期間は労働協約の有効期間と同じうする」旨の提案を行い、後にこれを同年五月二〇日までとする旨に改めたが、更に月余にわたる交渉を経た後、結局双方譲歩の上、その中間たる同年四月二〇日までとすることとし、前記第一〇項の表現がとられるに至つたものである。以上の事実を認めることができる。

(3)  次に、右協定の内容を検討するに、右協定書の記載によれば、先ず、「佐伯工場月一日休転操業に関し次のとおり協定する」とした後、多数項目にわたつて協定事項を列記し、「本協定は昭和三七年四月二〇日までとする」とされ、右期限につき会社主張の如き趣旨を留保する記載はなく、ただその内容をなす項目の殆んどが労働条件に関する事項であつて、二九操業の実施それ自体を協定したものというよりも、むしろ、二九操業下における労働条件に関する協定であるような観を呈するのであるが、反面これが二九操業の実施とこれに伴う労働条件変化の有無とが切り離して論ずることのできない問題であることは叙上認定の事実から明らかであり、殊に前記労働協約第五五条及びその附属協定書と雖も、連続操業そのものを正面から記載したものではなく、これを前提とした休日の定め方等を規定する点に徴し、また、前記疏乙第一〇号証の三及び四によれば、右協定によつても、なお労働条件に関する問題は完全に解決したわけではなく、会社及び組合支部の間でなお見解の一致しない点、将来改めて協議すべき点及び将来の実行にまつべき点を少からず残したことが看取されるので、これらを考慮すれば、右協定は、二九操業下における労働条件の問題のみを対象としたものではなく、協定成立時に確認協定された労働条件に従つて二九操業を実施すること自体を定めたものと解するのが相当である。

(4)  上記認定の経緯内容によれば、右協定に定める期間は、会社主張の如く、単に労働条件低下の有無を調査する期間にすぎないというのは当らず、二九操業そのものの実施期間を定めたものであるとともに、その満了後における方針については何ら定めるところがないから、この点については、前記事前協議協定の原則に立ち帰り、期間満了後において、双方が労働条件の低下の有無を検討した上、二九操業を実施するか、或いは操業形態を変更するかを改めて協議の上で定める余地を残したものと認めるのが相当である。従つて、期間満了によつて当然に二六操業に復帰するとの申請人の主張も亦採るを得ない。

なお、証人吉沢啓太郎の証言(第一回)及びこれにより真正に成立したものと認められる疏乙第一一号証によれば、会社は二九操業実施にあたり、相当人員の新規採用(但し、臨時労務者の本採用を含む)を行つたことが認められるけれども、右のとおり、期間経過後においても再協定を経てこれを長期的に実施することは十分考えられることであるから、このことを予定して新規採用を行つたものとも解せられ、従つて、右事実が当然に一方的な継続実施を前提にした措置であると認めることはできない。また、成立に争いのない疏乙第一二号証の一及び右吉沢の証言によれば、佐伯工場における新規開発事業としてイースト、核酸工場が新設され、その月産量に関し昭和三六年九月八日、協定の成立をみたことが認められるところ、会社は右協定をもつて二九操業実施を前提とするものと主張するけれども右は二九操業協定成立を遡る数ケ月前に調印されたものであるから、会社主張の根拠とするに足るものではない。その他会社主張に副う証人長嶺正次(第一回)、同宮口弘三、同吉沢啓太郎(第一回)の各供述部分は上述したところに照らし措信せず、他方、申請人の主張に副う証拠もなく、他に前記認定を左右するに足る疏明はない。

(四)  以上本件解雇に至るまでの事情として認定し来つたところは、要するに、操業形態の選択及び実施は本来経営権に属し、これが労働協約第五五条及び附属協定によつて連続操業制となつて確定した。しかしなお高度の連操を実施するためには、人員補充又は三六協定を必要とし、二九操業の一方的実施はこの労働条件によつて制約されるとともに、事前協議協定によつて協議を必要とすることになり、その後一応の了解点に達し人員補充等がなされ、二九操業協定が成立した。したがつて、組合は右二九操業協定に基きこれに協力すべき義務を負担したが、右協定の期間経過後(昭和三七年四月二一日以降)は右協定上の義務を免れるものというべく、右以後における二九操業の実施は再び協定の対象となるべきものと解するのが相当である。そこで会社が二九操業の続行を望み組合においてこれを拒否しない限り、事実上そのまま継続すべく、若し組合において反対の態度を採るときは更に会社組合の間に協議(前記事前協議協定による)を重ねる必要があり、その場合新協定が成立するまで依然右操業形態は持続するが、右協議が整わないときは、既に人員補充後である限り会社は本来有し且つ協約上是認された操業形態決定の権限に基き、これを強行(具体的には、従業員に対する業務命令をもつて当ることとなろう)するほかなく、他方、組合においてこれに従う意思なき場合は、他の操業形態をとることを要求し争議行為を含む手段をもつて会社に対抗することも亦事柄が労働条件に深く関連するものである以上当然許さるべきであり、結局、労使双方の所謂力関係によつて爾後の操業形態が決定されることとなると解するのが相当である。

三、五月五日、六日の不就労について

そこで先ず主たる解雇理由と認むべき昭和三七年五月五日及び六日の両日における一斉不就労の行動について判断する。

(一)  正常な休務であるか

二九操業協定の期間経過後当然に二六操業に復帰するものでないことは既に前段説示のとおりであり、しかも、前記労働協約第五四条の規定によれば、従業員に対する休日指定の権限が会社のみに存することも明らかである。この場合、組合が二六操業への復帰を要求し、同時にこれに見合う休日指定を求め、場合によつては争議手段に訴えることが許されるとしても、自ら休日を設定することができないことはいうまでもない。従つて、組合において勝手に設定せる休日に就労しないことをもつて権利としての休暇の消化、つまり正常な休務に当るとの主張は採ることができない。

(二)  争議行為であるか、(会社は「争議行為であるとの主張は休日消化の主張を否定する関係にあるから許されない」と抗弁するけれども、右は独自の見解であるのみならず申請人は争議行為としてもその要件を具備した不就労の事実を主張しているのであるから右抗弁は理由がない。)

会社は、申請人の右(一)主張をとらえて、休日消化のつもりでなしたものが突如として争議行為に転化しうるものではないと主張するけれども、当時は春闘の最中であり、四月二一日以降は休日指定を受けた者において就労を求め、五月二日が休転日と知りながらあえて就労闘争をなし、会社は組合幹部及び個々の従業員に対して、休日でないことを告げ就労すべき業務命令を発し、且つ休務した場合の責任を追及する旨を警告したのにあえてこれを拒否したことは当事者間に争いないが、これらに依つても組合幹部及び個々の組合員が真に休日と思いこんでこれを消化するつもりであつたとは認められず、むしろ後記の如く罷業の意思を窺うことができ、そうするとたとえ名を休日消化に藉りても、その実は要求を貫徹することを目的として行う行為、すなわち二六操業復帰要求(これが労働条件に密接に関係することは前述したところから明らかである)の貫徹を目的とするものであつたことは前認定の事情及び後記(三)の認定事実から容易に窺い得られ、右不就労も組合員各自が個別的散発的になしたものではなく、後に認定するとおり、組合ないし組合支部の指令に基き統一的な行動としてなされたものであるから、組合の行為というを妨げず、更に、これによつて会社の業務の正常な運営を阻害した(正常な休務でないという意味において)ことは明らかであるから、右行動は争議行為に該当すると言うを妨げない。

(三)  正当な争議行為であるか

(1)  争議意思の形成

およそ争議行為が正当であるためには、それが社会的組織体たる労働組合の団体としての意思決定に基く組織的行動である性質上、先ずこれを構成する組合員の総意に基く(具体的には、組合員の過半数による意思決定に基く)ことを要することは当然と言わなければならない。

(イ) 申請人は、この点につき組合規約に基き、昭和三七年三月中旬ストライキの支持を問う組合員全員の直接無記名投票を行い、その八割以上の支持を受けて行われたものである旨主張し、その根拠として、組合は昭和三七年の春季闘争要求の一つとして、佐伯工場における二九操業を二六操業に復帰せしめる要求を掲げ、これを他の関連諸要求とともに「労働協約改訂要求」として一本化した上、右労働協約改訂要求について右ストライキ支持の結果を得たのであるから、二六操業復帰の要求も亦当然に支持されたことになると主張するので、以下右主張について検討する。

証人角田安男(第一回)、同田村志朗(第二回)の各証言、成立に争いのない疏乙第一三号証、疏甲第二〇号証、後に述べる部分を除き成立に争いのない疏甲第二四号証を総合すれば、組合は、昭和三七年の春斗闘争に先立ち、昭和三六年一二月頃から、各職場における要求の集約に着手し、その結果に基いて昭和三七年二月初旬頃、春闘要求案(前記疏甲第二四号証)を作成し、一般組合員に配布して周知せしめる一方、これを職場討議にかけ、更に同月一四日及び一五日に開催された第三回組合中央委員会に執行部原案として討議し、その承認を得た上、最終的に春闘要求書(疏乙第一三号証)を作成して、同年三月二日これを会社に提出したこと、及び同月中旬頃、右春闘要求の諸項目について、ストライキの支持を問う組合員全員による投票を行い、組合規約(成立に争いのない疏甲第二二号証の一)に定める賛成票を得たことが認められる。

(ロ) ところで、右要求案中には、「佐伯工場の操業については、現行の二九操業期限が切れれば一三日連操に戻す。これがための闘いは連続操業協定要求のスト権に含めて闘う」との不動文字による記載があるとともに、右「連続操業協定」とある部分をペン書きで、「協約改訂要求」と訂正された如き記載があるので、この点につき検討を要するところ、前記春闘要求書には、「一律六、〇〇〇円の賃上要求」「年間一時金の要求」等のほか、「労働協約一部改訂要求」「各種協定締結要求」等の諸要求項目がみられるのであるが、所謂「連続操業協定要求」なる項目は独立の要求項目として掲げられることなく、ただ、右「各種協定要求」のうちに、要求にかかる八代富山両工場に関する連操協定案を掲げていることが見出されるにすぎないので、右要求案にいう「連続操業協定要求のスト権」は、少くとも独立して確立されることがなかつたと解せざるを得ない。しかしながら、前記角田安男、田村志朗の各証言(後記措信しない部分を除く)、右田村の証言(第二回)及びこれによつて真正に成立したものと認められる疏甲第七〇号証を総合すれば、組合は春闘要求案作成当時、同案に掲げる諸事項につき、場合によりストライキをもつて要求貫徹を図ることを当然予定していたのであるが、その後要求内容が確定し更にストライキの必要が現実化するに及び、各種要求項目別に所謂スト権確立の投票をなすにおいては、対象が多岐にわたつて複雑化するため、これを可能な限り統合整理したいとの所謂戦術的考慮から、各種協定要求(連続操業協定要求をも含む)はこれを他の要求の一部とともに「協約改訂要求」の内に包摂せしめて一本化し、右「協約改訂要求」を賃上げ要求その他の項目と併置して投票の対象とし、その結果前記の投票結果を得たものであることが認められるので、この意味において、所謂「連続操業協定要求のスト権」はここに確立されたということができる。(なお、前記訂正部分に関し、前掲各証言によれば、中央委員会において右のとおり修正の上承認されたというのであるが、成立に争いのない疏乙第八六号証の一及び同第九〇号証の二はいずれも中央委員会における経過を一般組合員に説明した文書であると解せられるところ、事柄の性質上当然に組合員に周知せしめる必要があると考えられる右修正の事実について何ら説明するところがない点を考慮すれば、この点に関する前記各証言はにわかに措信し難く、その他中央委員会において修正された事実を認めるに足る疏明はない。)

(ハ) 尤も、前記のとおり、春闘要求書中においては、連操協定要求は八代富山両工場に関してのみ掲げられているにすぎず、佐伯工場に関する連操協定要求はこれを見出すことができないけれども、佐伯工場における二九操業協定は昭和三七年一月二一日締結され、同年四月二〇日をもつて終期とするものであり、一方、春闘要求の内容が確定された時期が前記のとおり二九操業実施後月余を経たにすぎない同年二月中である経緯に徴すれば、組合としては、当時期限後の推移について確実な見通しがなく、従つて要求事項の整理成文化を了するに至らなかつた事情を窺うに足り、その故にこそ前記春闘要求案において、この問題に関する期限後の方針(一三日連操に戻すこと及び連操協定要求のスト権に含めて闘うこと)を説明するに止めたものと解するのが相当であり、従つて、「佐伯工場における連続操業協定要求」は春闘要求書の成文を離れて、すなわち対会社との関係は別として、組合内部においては当時既に存在し、一般組合員も右要求案成立に至る過程において、このことを認識していたものと認めることができる。

(ニ) 会社は、春闘要求案中の前記文言に関し、右は将来二六操業への復帰要求が容れられないときはその時点において改めてスト権を確立した上でストライキを以て要求を貫徹する旨の予定方針を説明したにすぎず、春闘におけるスト権確立投票の対象としたものではない旨主張し、証人宮口弘三はこれに副う供述をするけれども、文理上かく解するに疑なきを得ない(「連続操業協定要求のスト権に含めて闘う」とあるはやや表現明確を欠くきらいはあるけれども、確立が既に予定されているスト権に包摂せしめる趣旨と解され、将来改めて別個のスト権確立を経た上でこれに基きストライキを行う趣旨とみるのは困難である)上、組合としても将来に予定せる要求として右のような表現をとらざるを得なかつた前記認定の事情に徴し、会社の右主張は採ることができない。また、成立に争いのない疏乙第八六号証の二、同第九一号証はいずれも組合員に対する所謂教宣文書であると認められるところ、これらには、「佐伯工場の月一日休転操業協定は、協約改訂のスト権と切りはなれた問題であるので、この一三日連操に戻すための闘いは、連続操業協定要求のスト権に含めて闘う」旨の記載があり、その前段の表現は前記趣旨と一貫しない嫌いがあるけれども、右は佐伯工場の操業問題が春闘要求書提出当時なお将来の推移に条件づけられた問題であつて、特殊な性格を有することを説明したにすぎないと解されるので、これのみをもつて前記認定を覆すに足るものとは断じ難い。

(ホ) 要するに、春闘要求に関するストライキの意思集約において、佐伯工場の二六操業復帰要求は、組合執行部としてはその対象として既に予定していた事項であつたが、前記の如き特殊な性格を有したため、このことを組合員に周知徹底せしめる方途においてやや不明瞭ないし不十分な点があり、従つて組合員の過半数がこれを正確に認識していたか否かは暫く措き、少くとも相当数の組合員はこのことを認識して右投票に当つたことは優に推認し得られるところであり、従つて、これら組合員としては、二九操業協定期限後において、二六操業復帰要求が容れられず対立関係を生ずべき将来の事実を条件として、右問題に関するストライキを支持したものというべきである。

叙上の認定を左右するに足る疏明はない。

(ヘ) およそ、ストライキが事実上全組合員の過半数により、ストライキであることの明確な認識のもとに、その自由な意思によつて支持され実行された場合においては、仮に投票による過半数の意思集約を経たものでない場合であつても、団体意思形成の要請は満たされたものというべく、従つて、この点に関する限りこのようなストライキは正当であつて、投票による意思表明の機会を与えなかつたことは、単に組合内部における規約違反の問題を生ずるに止まり、従つて幹部の組合員に対する責任を云々するは格別、使用者との関係においては、当該ストライキを違法或いは不当と断ずることはできないと解するのが相当である。尤も、この場合においても、組合員の事実上の支持は、それが直接無記名投票によつてなされた場合に準ずるような、ストライキたることの明確な認識ないし理解(単に何らかの実力行使に当るという程度の漠然とした認識では足りないと解する)を前提とし、自由かつ民主的な方法態様によつて形成された意思に基くものでなければならないと言うべきである。

いま、これを本件についてみるに、組合の春闘要求書提出の後、労使間に累次にわたり団体交渉がなされたが、昭和三七年三月二〇日の団交において、会社は佐伯工場二九操業協定期限後も二九操業を継続実施する旨の方針を明示的に打ち出し、春闘とは別個の問題として右方針を実行することを組合に申し入れたが、組合としては、前記のとおりこの点に関する要求を春闘要求書に明記することはなかつたものの、問題が現実化するに及んで、これを春闘要求全般との関連において(換言すれば春闘要求の一内容として)同時に解決を図るとの方針を打ち出し、右方針に対して会社は重ねて佐伯工場二九操業を承認しない限り春闘要求に関する会社の回答は与えない旨の態度を表明し、ここに、佐伯工場操業問題は、一地域に限局された問題の性格を脱却し、春闘要求全体に関する前提問題たる様相を呈し、これを廻つて労使双方鋭く対立するに至つた。ここにおいて、組合支部は同年五月度(四月二一日以降五月二〇日迄)において再度二九操業協定の成立をみない限り二六操業を実施すること、及びこれを前提として五月度の休転日を同月五日六日、一八ないし二〇日の五日間とすることを具体的要求として確立し、本部中央闘争委員会の承認のもとに、四月一一日右要求を掲げて協議を申し入れたが、会社は操業形態に関する前記見解から、協議の要なしとして団交を拒絶し、ここに同月一四日組合支部から佐伯工場長に対し、右五日間を一斉休務する旨の通告を経た後、同月二〇日本部執行部は前記五日間を定休日として休務することを中央闘争委員長指令で組合支部に指示し、同支部執行部はこれを受けて支部組合員に対し同旨の指令を発し、これによつて右五日及び六日両日の不就労行動の実現をみるに至つたものである。以上の事実は、当事者間に争いない点のほか、成立に争いのない疏甲第六、第七号証、疏乙第一五ないし第二五号証、同第二九号証の一及び二、証人角田安男の証言(第一回)により窺われ得るところである。

右事実によれば、一般組合員は、右指令の行動に参加するに当り、前記春闘要求案における方針説明(これにより組合員相当数が、佐伯工場操業問題に関しストライキ賛成投票をしたことが推認されることは前述したとおりである)ないしその後の交渉の発展経緯に照らし、労使対立の当面の焦点が佐伯工場二九操業問題にあることを十分理解し、会社の見解を受け入れるにおいては、組合の主張及び要求が大幅に後退する結果となることを認識し、右認識に基いて組合要求たる二六操業の実現を図るため、会社の業務命令を拒否して就労しなかつたものであることが推認される。

尤も、右各証拠によれば、組合執行部は一面では、二九操業協定期限後は当然に二六操業に復帰し、組合においてこれに見合う休転日を設定することが可能であり、従つて右設定にかかる休転日を休務することは正常な休務(権利としての休日消化)であるとの見解を掲げ、一般組合員に対してもこの旨教宣したことが窺われないこともないけれども、これとても、特に休日消化と争議行為を峻別し、後者を排し前者の方法を採ることを明確に打ち出したものとは認められず、むしろ、右は執行部が争議行為を指導するに当りその要求の正当性を強調し組合員を鼓舞すると共に、会社に対する影響を考えて採用した一種の戦術的構想とも解し得られるのであつて、このために組合員において錯誤を生じ争議たる認識を全く有しなかつた場合は格別そうでなかつたことは前認定のとおりである以上、この故に争議行為たる本質を失うものとは解されない。また、本件行動に先立ち組合は波状的に部分スト或いは全面ストを決行し、これに先立ち会社側に対し慣行上の所謂スト通告を経たのに対し、右不就労行動においては同種形式による通告の事実は見られないけれども、これ亦執行部の前記構想に由来するのみならず、前掲疏甲第六、第七号証は右不就労に先立ちその旨を会社に通告した文書であり、前認定の経緯に徴し会社としても組合の目的とするところを認識し得べき状況にあつたことが推認されるので、右は実質において争議行為の通告に当ると認められる。その他各証言中本件行動が争議行為に当らない旨の会社主張に副う部分はいずれも上述したところに照らし採用できず他に上記認定を覆すに足る疏明はない。

(2)  手段の正当性

次に、本件行動の客観的側面についてみるに、証人横田和也、同工藤哲男、同小野忠彦の各証言及び申請人本人尋問の結果によれば、支部組合員は前記指示に従い、五月五日及び六日の両日、一斉に出勤を停止し、なお一部指示に従わない者のあることを予想して出勤途上数ケ所にピケツトを張つたが、何ら暴力の行使その他これと類似の紛争を生ずることなく、概して平穏裡に整然と不就労行動を終つたことが認められる。

(3)  以上によれば、五月五日六日の一斉不就労は、その意思形成の態様、目的及び手段の各面からみて、正当な争議行為に当るということができる。

なお、会社は法律上の見解として、(イ)本件行動が争議行為に当るとしても、その目的及び争議行為たることの明示がなく、目的を秘匿した行為であつて労使間の信義に反する旨主張するが、本件行動に関する組合側の認識(争議意思の形成)及びその通告を経たことについてはさきに説示したとおりであるから、右見解は採るを得ない。また、(ロ)所謂権利争議に関し自力救済を図つたもの或いは直接に自己目的を達成したものであつて違法である旨主張するが、五月度においてはなるほど五日及び六日の両日を全員休務することにより、事実上、右両日を休転日とするという目的自体を達成した観を呈するけれども、前記認定のとおり、組合の目的は五月度のみならず、二九操業協定期限後の操業形態を二六操業に改めるところにより、更に進んでは春闘要求全般の有利な展開を図るにあつたと認められ、右目的達成のために出たものと解されるので、右が争議行為に当ることはもとより、争議行為がその故に違法となるとの主張も亦採ることができない。

四、その他の解雇理由について

次に、会社主張の右以外の解雇理由(事実第三の四(二)(2)(イ)(ロ)及び(3))の存否につき検討する。

(一)  先ず、四月二一日以降会社から休日指定を受けた組合員が組合の指示により右指定を無視し、或いは会社指定の休転日を無視してそれぞれ入構し就労を求めたことは当事者間に争いがないが、証人横田和也、同工藤哲男及び同小野忠彦の各証言を総合すれば右行動(組合の所謂就労闘争)も亦右同様、組合の統制に従い概して整然と行われ、その間暴力の行使その他の紛争を生じた事実は認められず、証人児玉喜一の証言によつても会社主張の如く業務を妨害した事実を認めるに足りない。

(二)  また、会社主張の第三の四(二)(3)に列挙のものについても評価部分を除き事実関係は当事者間に争いがないが、そのうちビラ・ポスターの貼出及び赤旗掲揚の事実については、本来、建物の効用ないし美観を著しく損うに至るものでない限り原則として許さるべき行為というべきところ、右の程度に至るものか否かにつき疏明がないのみならず、撤去を求めることが相当な場合であつたとしても、これに組合が服従しなかつた一事をもつて直ちに申請人を解雇するに足る理由とすることは未だ首肯し得ない。また、所謂安全保持要員の引揚げについては、右がストライキ中の安全保持に不可欠の要員であるか(この点につき争いがある)、右引揚げにより施設管理に危険を生じたか等の諸点につきなお検討を要すべきところ、これらの点についての疏明は十分でない。鹿島建設従業員の入構阻止の事実についても、右がストライキ中の出来事であるとの争いない事情に鑑み、ピケツトを張つた示威又は説得があつたとしても、これを超える暴力の行使その他の違法な行為をもつて阻止した如き事実がある場合は格別証人児玉喜一の証言及びこれにより成立を認むべき疏乙第三六号証によつても右事実を認めるに足りず、他にこれを認むべき証拠もない。

以上、未だもつて申請人の責任を問うべき解雇事由とするに当らない。

五、結論

以上説示のとおり、組合及び組合支部がとつた会社主張の行動には、その主張の如き違法な点はなく、従つてこれを理由として就業規則に基き申請人に対してなした本件解雇は理由なきに帰する。しかして、申請人が従来会社から支給される給与のみをもつて生計を維持する者であり、本件解雇通告後は全国紙パルプ産業労働組合連合会の専従役員として報酬を得ていたが、昭和四〇年一〇月以降右地位を退いて現在に至つていることは、証人田村志朗の証言(第三回)及び申請人本人尋問の結果により認め得られるところである。

してみれば、本件解雇の無効を理由として会社との間の雇傭契約上の地位の保全を求める本件仮処分申請は、その余の申請人主張事実につき判断するまでもなく、その理由及び必要があるというべきであるから保証を立てさせないでこれを認容することとし、申請費用の負担につき民事訴訟法第八九条を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判官 平田勝雅 前田一昭 田川雄三)

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